4月18日 月曜日

旦那は、朝から仕事

「ごめんね。」と言って出かける旦那。

 いやいや、本当、無理しないで(。´Д⊂)うぅ・・・・・・

昨日やおとといのように、避難所で一日を過ごしてもいいんだけれど、
やっぱり、一人で、子供2人を見ながら一日を過ごす事に、体力的にも
精神的にも自信が無かった。あと何日こんな風に過ごすのかな?と

佐賀のお友達からメール「電気が通る予定らしいよ!」

愛知県のお友達も 「ここのお風呂が開いてるらしいよ!」

沢山のお友達から「必要な物があったら送るよ」

一つ一つがとても感謝感激。ありがとう皆さん。

佐賀の方他、数名の方から「物資もっていくよ!」

福岡の方々から「避難においで!」


本当にうれしかったが、まだ道が悪く、そして非常に混んでいる。

通れない道が多い上に、支援の為の車が多い。信号も壊れていて

警察が交差点に立って交通整理されている。まだボランティアも遠慮

してもらっているらしい。

福岡に避難する事は何回も考えたが、旦那を置いて、しかも一人で

知らない土地まで行けるか地震が無かった。途中でまた大きな地震に

遭遇したら、知らない土地で避難する事を考えると息が詰まりそう。

また道が壊れて、通れなくなったら。。自宅に戻れなくなったら。。


近所の方の「戻っておいで」が一番、気持ちがホッとして、自宅に戻った。

太陽光発電で蓄電できるお家に数件のお家で集まっておられた。

ラインのグループが出来ていて、入れてもらった。

蓄電すごい!!!(゚∀゚ )初めてお話ししたお家の方だったけれど

とてもフレンドリーで食べ物とか沢山いただいた。子供もテレビを見せて

もらった。スマホも充電させてもらった。

次男を耳鼻科に連れていきたかったが、耳鼻科が開いてなかった。

耳鼻科も被災していた。

悩んだが、また避難所の医師に診てもらうことに。

長男もなんとなく具合が悪かった。私も胃酸が出てお腹の調子が

悪かった。皆、そんなに悪くはなかったが、このまま道がもっと壊れて

陸の孤島になれば・・・

そんな不安から、この程度では申訳ないなと思ったけれど。

救護室に行った時間はちょうど、医師団の交代の時間だった。

いろんな団体があるようで、私たちは石巻の日赤の医師に

診てもらった。小児科では無い先生で、耳の中を診る機械も

無かったが、普段の薬に近い薬を出してもらえた。

石巻。。。5年前の震災では

本当に大変だっただろうな。そしてまだ大きな余震がある中、本当に

ありがとう。熊本弁難しいだろうな。独身だったら、隣にいて通訳して

あげられるのに(*´∀`)

私は胃酸を抑える薬、そして長男は様子観察となった。

昼ごはんは、お隣の方がうどんを作って下さって、

それを頂いた。美味しかった(´∀`人)♪ 

一機にご近所との絆が深まった。

別のお隣は、植木まで行き、知人から支援物資を貰われ、

それを沢山頂いた。そこのお子さん達が次から次へと

1つずつ(お菓子とか、ウェットティッシュとか)もってこられ

泣きそうだった。旦那に、お礼に子供用雑誌を買ってくるよう

お願いした。(火曜日の事だったかもしれない)

散らかった自宅に入る。夢のマイホーム。

あの揺れに耐え、倒壊する恐れは無いものの、

一瞬にして、やや恐ろしい場所に。

それでも、車内や屋外で二人を見るよりは自宅の方が

少し落ち着く。でも、自宅内に今までのようにくつろぐ

感覚はまだ無い。

玄関フロアとリビングの入り口に座り、子供らと遊ぶ。いつでも外に

出れるよう。自宅内に入った時には、常に、「今地震来たら、

何をもって、子供らとどう、外へ出るか?常に子供の居場所を

確認しながら、自分の仕事をする。」

洗濯したい。まだ電気が来ない。今夜はまだ停電なのかな・・・・・。

夕方になる。

ラインのグループで「電気が!!」みたいな情報が!

思ったより電気が早く来た!

夕食はどうしたっけ?近くの炊き出しを食べたかな?

トイレは、その炊き出しの場所が水洗トイレが使えるようで

そこを利用。自衛隊の給水もそこに来ていて、頂く。

自衛隊の方がこんなに親切(サービス業のよう)だとは。

ありがたや。

実家は洗濯が出来るそうで、明日から実家に洗濯に行く事にした。

夜は車中泊。

ジュニアシートを外し、私の車に私と子供2人、旦那の軽に旦那が

一人で。色々疲れているのだろう、あっというまに就寝。

歯磨きも忘れずに。